ダレル・ウェイン・エバンス(Darrell Wayne Evans , 1947年5月26日 - )は、アメリカ合衆国・カリフォルニア州パサデナ出身の元プロ野球選手(三塁手、一塁手、指名打者)。右投左打。。
人物・来歴
1969年4月20日にアトランタ・ブレーブスでメジャーデビュー。1973年に41本塁打を放ち、オールスターに初出場。フィラデルフィア・フィリーズのマイク・シュミットと共に、1970年代から1980年代前半にかけてのナ・リーグを代表する強打の三塁手として活躍し、1976年途中にサンフランシスコ・ジャイアンツに移籍。1983年頃よりほぼ一塁手にコンバートするが、この年には10年ぶりに30本塁打を記録。また、10年ぶりにオールスターに出場。
1984年にデトロイト・タイガースに移籍。以後は指名打者としての起用も増えた。この年は16本塁打に終わるが、この年チームは開幕からの40試合で35勝5敗(MLB記録)というロケットスタートを切り、勢いに乗って地区優勝。ア・リーグチャンピオンシップシリーズ(ALCS)も制して自身初のワールドシリーズに進出。シリーズでもサンディエゴ・パドレスを破り、ワールドチャンピオンとなった。そして1985年には、40本塁打を放って唯一のタイトルとなる本塁打王を獲得。38歳での本塁打王は現在でもMLB最年長記録。また、MLB史上初の両リーグ40本塁打を達成した。その後も1987年には40歳にして34本塁打、99打点を記録しチームの地区優勝に貢献。この年までに所属した3チームで100本以上の本塁打を記録。これはレジー・ジャクソンに次いでMLB史上2人目であった。1988年には史上22人目の通算400本塁打を達成。1989年には古巣ブレーブスに復帰し、1シーズンプレイして現役を引退。
引退後は、1990年にはニューヨーク・ヤンキースで打撃コーチ、2007年から2年間は独立リーグのロングビーチ・アーマダ(かつてホセ・カンセコらが所属)の監督を務めた。
選手としての特徴
通算打率は.248と低かったが、年間100四球以上が5シーズンあり、通算でも四球(1605)の方が三振(1410)よりも多く、出塁率は.361であった。40歳の誕生日以後に合計60本塁打を打っており、これはMLB記録である。
エピソード
- 1984年に妻とともに自宅(カリフォルニア州プレザントン)でUFOを目撃したと発表。
- タイガース時代1986年には29本塁打。二塁手ルー・ウィテカー(21本)、三塁手ダネル・コールズ(20本)、遊撃手アラン・トランメル(21本)と共に、「内野4人全員20本塁打」を達成。
詳細情報
年度別打撃成績
- 各年度の太字はリーグ最高
年度別守備成績
- 内野守備
- 外野守備
タイトル
- 本塁打王:1回(1985年)
表彰
- 月間MVP:1回(1983年5月)
記録
- MLBオールスターゲーム選出:2回(1973年、1983年)
背番号
- 11(1969年 - 同年途中、1970年 - 1976年途中、1989年)
- 2(1969年途中 - 同年終了)
- 41(1976年途中 - 1988年)
脚注
外部リンク
- 選手の通算成績と情報 Baseball-Reference、Fangraphs、The Baseball Cube、Baseball-Reference (Register)
- Darrell Evans(メジャーリーグ成績・英語)(The Official Site of Major League Baseballより)



