細川 義季(ほそかわ よしすえ)は、鎌倉時代の御家人。細川氏の祖。
略歴
広沢義実(矢田義実)の二男。兄は仁木氏の祖となった仁木実国。弟の戸賀崎義宗は戸賀崎氏の祖となった。
上野国山田郡広沢より三河国額田郡細川荘に移り住み、細川二郎と称した。時期については、足利義氏が三河国守護となった頃か、その直後と推測される。義季の城(館)の場所は、蓮性院の後方にある南東山上と伝わる。
義俊の子である孫の俊氏が義季の後継となった。
子孫の細川頼之が明徳3年(1392年)に建てたと伝わる蓮性院常久寺に義季の墓がある。
子どもについて
子には系図上義俊他数名が確認されるが、実子は義俊のみでその他は孫である義俊の子たちや、曾孫の頼貞などを養子として迎えたとされている。『新編岡崎市史』や『新編岩津町誌』では、義季の子のうち、七郎家俊が
脚注
参考文献
- 新編岩津町誌編集委員会 編『新編岩津町誌』岩津地区総代連絡協議会、1985年2月1日。NDLJP:9539693。 (要登録)
- 新編岡崎市史編集委員会 編『新編岡崎市史』 第20巻《総集編》、新編岡崎市史編さん委員会、1993年3月15日。NDLJP:9572171。 (要登録)




