第1装甲擲弾兵旅団(だい1そうこうてきだんへいりょだん、ドイツ語:Panzergrenadierbrigade 1)は、ドイツ連邦陸軍の旅団の一つ。第1装甲師団の隷下にあって、旅団司令部をハノーファーなどに置いていた。旅団部隊はその多くの期間をゾルリンク、リューネブルガーハイデ、ハルツ山地およびヴェーザー川一帯にて駐屯していた。
歴史
第1次編制
1958年にヒルデスハイムにてB1戦闘群として編成される。編成時はハノーファーの第1擲弾兵大隊と第21擲弾兵大隊、ヘクスターの第12装甲擲弾兵大隊を隷下におさめていた。1961年に第21装甲擲弾兵大隊はオステローデ・アム・ハルツに移駐する。1959年、陸軍第2次編制期に入りB1戦闘群は第1装甲擲弾兵旅団に改編され、第1装甲師団隷下となる。第14戦車大隊は1959年に編成され1991年の解隊まで旅団隷下に留まった。
第2次編制
陸軍第2次編制期には旅団隷下部隊は以下のようになる。
- 第1擲弾兵大隊(1959年から第1装甲擲弾兵大隊、1966から第11装甲擲弾兵大隊 (M113装甲兵員輸送車を装備) 、1972年から第11装甲擲弾兵大隊 (歩兵戦闘車を装備) )
- 第21擲弾兵大隊
- 第12装甲擲弾兵大隊
- 第14戦車大隊
- 第15砲兵大隊(1967年から第15装甲砲兵大隊)
- 第10偵察中隊
- 第10駆逐戦車中隊
- 第10装甲工兵中隊
- 第10防空中隊
- 第10整備中隊
- 第16補給中隊
第3および第4次編制
陸軍第4次編制では、1981年から以下のようになる。
- 第11混成装甲擲弾兵大隊 在ヒルデスハイム(1981年にヒルデスハイムに移駐)
- 第12装甲擲弾兵大隊 在オステローデ・アム・ハルツ(1958年7月1日にオステローデ・アム・ハルツに移駐)
- 第13装甲擲弾兵大隊 在ヴェセンドルフ(1980年10月1日に第11装甲擲弾兵大隊を母体に編成)
- 第14戦車大隊 在ヒルデスハイム=シュトイアーヴァルト
- 第15装甲砲兵大隊 在シュタットオルデンドルフ(第15砲兵大隊を母体に編成)
- 第10駆逐戦車中隊 在ヒルデスハイム
- 第10補給中隊 在ヒルデスハイム
- 第10整備中隊 在ヒルデスハイム
- 第10装甲工兵中隊 在ホルツミンデン
第5次編制
陸軍第5次編制にて1994年に第10補給中隊が解隊され、旅団隷下部隊は以下のようになる。
- 旅団司令部中隊 在ヒルデスハイム
- 第12装甲擲弾兵大隊 在オステローデ
- 第332装甲擲弾兵大隊 在ヴェセンドルフ(1996年1月1日以降)
- 第15装甲砲兵大隊 在シュタットオルデンドルフ
- 第24戦車大隊 在ブラウンシュバイク
2003年に第425戦車大隊、第421装甲擲弾兵大隊、第803装甲工兵大隊および第141後方支援大隊が「将来の陸軍」に基づいて旅団隷下部隊として再編成される。これに代替として第12装甲擲弾兵大隊、第24戦車大隊および第10装甲工兵中隊が解隊される。第15装甲工兵大体については非現役化される。
- 第10装甲工兵大隊 在ホルツミンデン(2003年8月31日に解隊)
- 第33戦車大隊 在ノイシュタット・アム・リューベンベルゲ(2002年1月1日以降)
- 第421装甲擲弾兵大隊 在ブランデンブルク(2003年1月1日以降)
- 第425装甲擲弾兵大隊 在レーニッツ(2003年1月1日以降)
- 第803装甲工兵大隊 在ハーフェルベルク(2007年1月1日以降)
- 第141後方支援大隊(2003年7月1日以降)
2007年12月31日に旅団は解隊される。2007年9月4日にヒルデスハイムにて任務解除点呼を実施する。第10野戦予備中隊は旅団と共に解隊され、最終隷下部隊のうち第141後方支援大隊および第33戦車大隊は第9装甲教導旅団へ配転される。第421装甲擲弾兵大隊は解隊され、第803装甲工兵大隊および第141装甲擲弾兵大隊は第41装甲擲弾兵旅団に配転される。
歴代旅団長
脚注
外部リンク
- (ドイツ語) Relikte.com: Die 1. Panzerdivision der Bundeswehr
- (ドイツ語) Hallo und Willkommen auf Hildesheimer-Panzer.de !
- (ドイツ語) Traditionsverband Panzerbataillon 14, Hildesheim
- (ドイツ語) Website des ehemaligen PzArtBtl 15
- (ドイツ語) Webseite Panzerjaegerkompanie 10




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