与座岳陸軍補助施設(よざだけりくぐんほじょしせつ、英語: Yozadake Army Annex)は、沖縄県糸満市と八重瀬町にあったアメリカ軍ナイキ・ハーキュリーズのミサイルサイト。サイトAは陸上自衛隊「八重瀬分屯地」に移管され、また南側のサイトBは1974年に返還された。
概要
同地は琉球石灰岩台地の八重瀬岳の頂上北側に位置する。1945年の沖縄戦では日本軍の最終防衛線として激戦地となった。1950年代、アメリカとソ連の核開発が激化するなかで、米軍占領下の沖縄の米軍基地への核兵器配備が急速に進められた。与座岳陸軍第一補助施設(「与座岳サイト」)にはホークミサイルが、また与座岳陸軍第二補助施設(「与座岳陸軍補助施設」)にはナイキ・ハーキュリーズが配備された。
1971年に日米が合意した沖縄返還協定了解覚書A表で、与座岳陸軍第一補助施設は「与座岳サイト」に、また与座岳陸軍第二補助施設は「与座岳陸軍補助施設」に改称され、継続使用の米軍基地として提供された。
八重瀬岳の頂上部分に位置する与座岳陸軍補助施設サイトAには、ナイキの管理施設として大型レーダーや事務所、兵舎が置かれ、南端の南部弾薬庫西側に位置する与座岳陸軍補助施設サイトBには、ナイキのミサイル発射施設と関連施設が配置された。
- 名称: 与座岳陸軍第二補助施設(Yozadake Army Annex No. 2)
- 改称: 与座岳陸軍補助施設(Yozadake Army Annex)
- サイトA(八重瀬町側): 管理施設とレーダー
- サイトB(糸満市側): ミサイルランチャー
- 場所: 糸満市、東風平村、具志頭村
- 面積: 約258,900㎡
歴史
1957年6月、アメリカ陸軍がナイキ・ハーキュリーズのミサイルサイトとして同地を接収、アメリカ陸軍第30防空砲兵旅団が「与座岳第二陸軍補助施設」として使用。
1969年頃、ニクソン・ドクトリンに基づく米軍基地の再編統合後、ナイキ施設が遊休化する。
1972年5月15日、沖縄返還協定了解覚書B表により、サイトAが「陸上自衛隊与座分屯地(2006年1月6日、八重瀬分屯地に名称変更)」として自衛隊に移管される。サイトBは「与座岳陸軍補助施設」として継続して提供される。施設の使用目的は「倉庫」であった。サイトAのナイキミサイルサイトを自衛隊に提供し、遊休化した他の3か所のナイキ施設を「倉庫」として引き続きアメリカ軍に提供することは、日米が合意した「核抜き本土並み」のモットーにそぐわないと疑問の声があげられた。
1974年9月30日に、サイトBが全返還される。返還地は果樹園などの農業用地や採石場として利用される。
参照項目
- 沖縄の米軍基地 > 与座岳・八重瀬岳の米軍基地
- 陸上自衛隊 > 八重瀬分屯地
与座岳・八重瀬岳の米軍基地
脚注
出典



![与座岳分屯基 地公式WEBサイト|防衛省 [JASDF] 航空自衛隊](https://www.mod.go.jp/asdf/yoza/img/index/slide/top4.jpg)