阿部 正備(あべ まさかた)は、江戸時代後期の大名。陸奥白河藩の第4代藩主。官位は従五位下・能登守。忠秋系阿部家12代
略歴
文政6年(1823年)、肥前国大村藩主・大村純昌の五男として誕生する。天保9年(1838年)5月12日に先代藩主・阿部正瞭が亡くなったため、養子となり同年6月28日に跡を継ぎ、従五位下・能登守に叙任された。天保14年(1843年)9月、奏者番になったが、弘化4年(1847年)に辞任する。
翌嘉永元年(1848年)5月10日に隠居し、養子の正定に家督を譲った。明治7年(1874年)、52歳で死去した。
系譜
父母
- 大村純昌(実父)
- 阿部正瞭(養父)
正室
- 教 ー 内藤頼寧の娘
子女
- 阿部資満(長男)
- 貞子(長女) ー 道子のち貞子。伊予国西条藩主松平頼英正室。のち離縁。
- 幸 ー 阿部正静継室後に京極高典正室後に大久保忠礼継々室
- 内藤政養正室
- 多子 ー 土方雄志正室
- 山田某室
養子
- 阿部正定 ー 阿部正蔵の長男



